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22/03/11 11年

何か時事ネタを話すのもあんまり好きじゃないんだけど、一応震災地域でしたので。

当時のことは結構よく覚えていて、東方Projectにハマってた頃で例大祭に行く前日だったと思います。イベントに行くための準備を整えて家に帰ってきた直後で、さーてPCの前に座って絵でも描こうかみたいな状態になった時に突然地震に襲われたのを覚えています。いつもと違う揺れの「重さ」みたいなのを感じて、思わず外に飛び出ました。近所の人達もみんな外に出ていたのを覚えてます。電信柱まで揺れてるの始めて見たよ。
家に戻ると棚の食器が沢山割れてました。当時両親とは別々に暮らしており、念の為と思って電話をしましたが全く通じませんでした。テレビを付けたら、津波に巻き込まれる車の映像が流れており、今起きている現実がよく理解できませんでした。
翌日、近くのスーパーの食品が全て消えてました。マジで食料をメインとしてお菓子やペットボトルの飲料まで全部無くなってるのは中々の衝撃でした。10倍激辛カレーとかだけが残ってたのは人間の限界みたいなものを感じました。それでも一週間前後でその辺りは復旧した辺り、うちの地元はまだ被害は抑えられていたと思いますし、日本の配給力の高さみたいなのを改めて感じました。一ヶ月ぐらい経つ頃にはまるであの時のことが夢みたいだったような状態にまで戻っていたので、この国って凄いんだなって何か変な実感を覚えました。

大学の開始が1ヶ月遅れたり、例大祭は結局中止になったりと色々ありましたけど、何というか改めて生きててよかったなと言うか。本当に大変だったのは当時仙台に居たうちの両親だったと思いますね。当時の時点で定年も近かったんですけど、パワフルな両親だなあと改めて感心しました。
うちは家族全員無事でしたし、地元では大きな被害の話は聞きませんでしたが、それでも当時の事は今でも話題にあがります。色んな事が起きた一日で色んな状況が動いた一年でした。改めて当時亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。

何というか大変だったし今でもそういう心持ちを大事にはしたいけど、少なくともこうやって元気に生きてる自分や家族だけはいつもどおりでいようとは思いますね。悲壮感に浸るのって簡単な割に取り返しがつかないことが多いので。いつもどおり他人に優しく、当たり前の日常を送りたいもんです。
ちなみにこの時以来、地震の揺れで自分の身の危険をある程度察せるようになりました。危機管理意識の成長! ならもうちょっと防災グッズを用意したほうがいいのでは(

水はもうちょっと多めに買おうと思った僕でした。
あぁ今日もピザが美味い(金曜日なので許される